週末からは、再び忙しない日々が始まる予定で、
来週からは本格的に動き出さなくてはならない。
この1年、腕を痛めて思うようにならなかった。
痛みの伴う腕をかばいながら、こなしていた。
何度も諦めかけた
でも、諦められなかったことがある。
痛みがひどい時は、今までやらなかったことを
こなしていた。
それが逆に良かったのかもしれない。
でも今のこの状態がここちよくて・・・
来週から始めなくてはならないことが、
本来は希望のはずなのになぜか腰が重い。
贅沢だよね・・・
週末からは、再び忙しない日々が始まる予定で、
来週からは本格的に動き出さなくてはならない。
この1年、腕を痛めて思うようにならなかった。
痛みの伴う腕をかばいながら、こなしていた。
何度も諦めかけた
でも、諦められなかったことがある。
痛みがひどい時は、今までやらなかったことを
こなしていた。
それが逆に良かったのかもしれない。
でも今のこの状態がここちよくて・・・
来週から始めなくてはならないことが、
本来は希望のはずなのになぜか腰が重い。
贅沢だよね・・・
そういえば——
このブログを止めていた間に
私の中で、確かに何かが変わった。
私は、押し花アートを続けながら
子供絵画教室の講師をしている。
子供たちの感性や創造力を引き出したい...
そう思いながら向き合っている。
けれど、教室でよく聞く言葉がある。
「上手に描けない」
そのたびに、立ち止まる。
そもそも上手く描くって、何だろう?
見たままを正確に再現すること?
写真のように、ズレなく描くこと?
もしそれが正解だとしたら、
絵はただの“複製”。
子供は、本来もっと自由だ。
感じたことを、ためらいなく外に出していい。
形が歪んでも、線が多くなっても
大丈夫、それは間違いではなく、
そこから生まれてくる世界が待っている。
私は子供たちに言う。
「上手く描かなくていい」
大人は、知識や経験を手に入れる代わりに、
無意識に“正解”を探し始める。
人にどう見られるか?
間違っていないか?
表現は・・・怖がらなくていい。
整っていないことで、作者を浮き彫りにする。
子供たちの絵を見ていると、
時々、はっとさせられる。
だから思う。
知識も経験も壊した上で描けたら・・・
それは、ただの自由ではない。
子供たちの中にあるものを守りながら、
問いかけている。
教えているつもりで、
教えられているのは、きっと私の方だ。
今の時代に馴染みながら、しっかりと「用の美」を宿していた
そこには、濱田庄司の思想が、確かに息づいているように感じられた
このブログを読んでくれている人はいるのだろうか?
最後の投稿から6年が経った。
それから、様々な出来事と出会いがあった・・・
私は、仕事柄もあるのだが出会いが多い方だと思う。
私の上を通り過ぎる人、一時とどまる人、ずっと続いていく人。
こちらがずっと続いて欲しいと願っていても、そうもいけないこともある。
別れがくるのであれば、、、
伝えたいことを伝える・・・ということも出来るけれど
あえて言葉にしない方がいい、ということもいつしか。。。学んだ。
そして、言葉にできない想いを堪えることが私になった。
私は・・・
その想いを作品にぶつけていく。
ようやく、そう思えるところまでにきた。