子供が折った折り紙に
うさぎを描いた
「なんかうさぎ?ねこにみえる・・・」
「うさぎさんには おひげはないよ?」
「そっか、うさぎさんには、おひげないんだね」
「どうして、立ってるの?」
「どうしてだろうね」
「うさぎねこ!」
子供は大喜び
「うさぎねこ!」
子供が折った折り紙に
うさぎを描いた
「なんかうさぎ?ねこにみえる・・・」
「うさぎさんには おひげはないよ?」
「そっか、うさぎさんには、おひげないんだね」
「どうして、立ってるの?」
「どうしてだろうね」
「うさぎねこ!」
子供は大喜び
「うさぎねこ!」
2025年2月
私は腕を痛めた
激痛で眠れない日々を、1か月
このまま仕事もできなくなるのではないか...そんな恐怖に襲われた
痛みは治まらず、 気持ちとは裏腹に、夏には強い焦りを感じていた
早く、早く治りたい
けれど、痛みはなかなか引いていかない
いつしか... 諦めた
受け入れることにした
痛みに向き合い、 支えてもらいながら過ごす日々
まるで、傷ついた翼を抱えた鳥のように...
パタパタと翼を動かしても、飛べない
空を見上げては憧れるけれど、 飛ぶことができない
けれど...飛ぶことをやめたとき
飛ばない世界にも、穏やかな居心地があることを知った
これまで知らなかったその世界は
痛みを抱えて見たからこそ、やわらかなものに包まれていた
痛みに寄り添い、
時に励まされ、
時に「止まりなさい」と教えられた
そんな時間の中で、
少しずつ、自分の在り方が変わっていった
まだ痛みは続いているけれど...
もしかしたら、もうすぐ
空が見えてくるのかもしれない
その時は大空へと...羽ばたいていきたい
週末からは、再び忙しない日々が始まる予定で、
来週からは本格的に動き出さなくてはならない。
この1年、腕を痛めて思うようにならなかった。
痛みの伴う腕をかばいながら、こなしていた。
何度も諦めかけた
でも、諦められなかったことがある。
痛みがひどい時は、今までやらなかったことを
こなしていた。
それが逆に良かったのかもしれない。
でも今のこの状態がここちよくて・・・
来週から始めなくてはならないことが、
本来は希望のはずなのになぜか腰が重い。
贅沢だよね・・・
そういえば——
このブログを止めていた間に
私の中で、確かに何かが変わった。
私は、押し花アートを続けながら
子供絵画教室の講師をしている。
子供たちの感性や創造力を引き出したい...
そう思いながら向き合っている。
けれど、教室でよく聞く言葉がある。
「上手に描けない」
そのたびに、立ち止まる。
そもそも上手く描くって、何だろう?
見たままを正確に再現すること?
写真のように、ズレなく描くこと?
もしそれが正解だとしたら、
絵はただの“複製”。
もっと自由でいい。
感じたことを、そのまま外に出す。
形が歪んでも、線が多くなっても
大丈夫、それは間違いではなく、
そこから生まれてくる世界が待っている。
私は子供たちに言う。
「上手く描かなくていい」
大人は、知識や経験を手に入れる代わりに、
無意識に“正解”を探し始める。
人にどう見られるか?
間違っていないか?
表現は・・・怖がらなくていい。
整っていないことで、作者を浮き彫りにする。
子供たちの絵を見ていると、
時々、はっとさせられる。
だから思う。
知識も経験も壊した上で描けたら・・・
それは、ただの自由ではない。
子供たちの中にあるものを守りながら、
問いかけている。
教えているつもりで、
教えられているのは、きっと私の方だ。
今の時代に馴染みながら、しっかりと「用の美」を宿していた
そこには、濱田庄司の思想が、確かに息づいているように感じられた